継続の価値−幻の作家 村田等氏のこと−


大部分のコンテンツが先人の業績の引き写しで、自ら汗を流して調べて回った独自コンテンツといえる情報が少ないこのサイトでも、リンクをいただいているサイトからは一応研究系サイトの末席に加えていただいているせいか、稀に来訪者の方からメールをいただくことがある。
用件は、当方を権威と誤解してか「教えてください」といった内容だったり、逆に情報提供のメールだったり、記述ミスの指摘だったりする。「教えてください」という用件のメールでも、先方は私よりよほど詳しい方がほとんどで、逆に教えられることのほうが多い。歳は喰っていても、ファンとしてのキャリアに途中ブランクがあるせいか、未熟さを痛感する。

いただいたメールのひとつに、村田等のお孫さんからのメールがある。
村田等は、1929年(昭4)に開催された「第五回サンデー毎日大衆文芸募集」に乙種入選した「山脇京」を発表したきり、筆を折ってしまった作家である。「山脇京」は「幻影城」の36号に復刻されたが、作家である村田等は「生涯については知られていない」とコメントされていた。
私のサイトでも、村田等は「生年経歴一切不明」としていたのだが、お孫さんはお祖父様の七回忌をきっかけにインターネットで祖父の作品を検索することを思いつき、たまたま私のサイトがヒットしたのだ。
お孫さんのメールには、
「死んだ祖父がネット上に生を存えていたような、不思議な感覚を覚えましてついメールを差し上げる次第」 とあった。
お孫さんと、お孫さんからご紹介いただいた村田等のご長男とのメールのやりとりを通して、また、お孫さんが公開されているサイトを拝見することによって、村田等の人となりを知ることができた。
村田等はモダンボーイを地でいくような、人間的に非常に魅力のあった方だったようで、「山脇京」のみで筆を折らずに作家活動を続けたならば、あるいは戦前の探偵小説の幅が広がったのではないかと残念に感じられる。

実際、亡くなったおりには、「幻影城」に復刻された「山脇京」をパソコンで編集し、香典返しに使用したということで、ご長男が書かれた編集後記の一節には、
「子供の欲目かもしれませんが、戦後流行りの社会推理小説の走りのようで、松本清張さんや水上勉さんの作品の源流をなしているような気がいたします」
とあるという。
ご遺族におうかがいしても、筆を折った理由はわからないが、「山脇京」発表後、それまで勤めていた大阪毎日新聞を退社して、海軍に食品を納品する会社を始めたため、多忙になったせいもあるのだろうか。その会社も右腕にしていた人間に有り金を持ち逃げされたため、行き詰まってしまったようであるが。

村田等のお孫さんには、
「その祖父の数少ない「名」の残っている経歴が記載されているサイトに出会えたことを大変うれしく、また誇らしく感じております」
と過分な言葉をいただいた。
「研究系サイト」に加えていただいているわりには、独自コンテンツに乏しいせいで引け目を感じていたが、今では私のサイトの意義は、情報を一所に集めて、公開し続けることにあるのだと開き直っている。恐縮するのも長く続けていると、次第に慢性化してきて、感じなくなる。歳のせいか、大分感受性が鈍くなっているせいもある。
更新ができなくなったということを理由に挙げて、公開を停止してしまうサイトも多いが、重要なのは継続することだと思う。私のサイトのように滅多に更新もせず、たまに更新しても、間違い探しのような手直し程度の修正をするだけのサイトでも、できるかぎり続けていくことが価値に繋がるのだと考える。


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